加賀市観光戦略部 文化振興課

 
 ■所在地
 〒922-8622
 石川県加賀市大聖寺
 南町ニ41番地
 加賀市役所別館4階

 ■お問合せ
 TEL:0761-72-7888
 FAX:0761-72-7991
 メールアドレス:
 bunkazai@city.kaga.lg.jp

 

国指定有形文化財

建造物
江沼神社長流亭(えぬまじんじゃちょうりゅうてい)   1棟
所 在 地   大聖寺八間道
所 有 者   江沼神社
指定年月日  昭和25年8月29日

 大聖寺藩邸の外郭、旧大聖寺川に臨んで宝永6年(1709)に建てられた数寄屋造建築である。設計は小堀遠州とも伝えられている。
 古くは川端御亭といわれ、藩主の休息所として使われたという。

 玄関扉のデザインや書院欄間の大胆な意匠など、桃山時代の名残を留めており、我国数寄屋建築を代表するものとして高く評価されている。







薬王院五輪塔(やくおういんごりんとう)   1基
所 在 地   山代温泉
所 有 者   薬王院温泉寺
指定年月日  昭和32年2月19日

 平安時代後期に(しっ)曇学(たんがく)を究め、「あいうえお五十音順」を創始したと伝えられる明覚上人の供養塔といわれている。
 凝灰岩製の五輪塔で、各面に大日真言が梵字で配され、優
美な連弁円相が表わされている。その優美さと全体の安定感のある形態から、鎌倉時代の建立と推定されている。





忠谷家住宅(ちゅうやけじゅうたく)   4棟及び屋敷構1件
所 在 地   橋立町
所 有 者   個人
指定年月日  平成21年6月30日

 北前船主忠谷家住宅は、江戸後期の天保年間に独立船主となって間もなく建設されたと推定される建物で、当初から瓦葺きでありながら、一部に茅葺の名残を留めた過渡的様相を示す貴重な建物である。現在加賀市に残る北前船主住宅としては最古であり、20畳のオエ背後に26室を配した当地方特有の間取りで建てられている。主屋東に大正時代に増築された離座敷と土蔵2棟と屋敷構もともに指定されている。






工芸品
蒔絵角赤手筥(まきえすみあかてばこ) 附文章一巻(つけたりぶんしょういっかん)   1件
所 有 者   菅生石部神社
管 理 者   東京国立博物館
指定年月日  昭和25年8月29日

 江戸幕府二代将軍徳川秀忠の二女珠姫(天徳院)が、前田家三代利常に嫁いだ際の婚礼調度として作られたものである。元和5年1619)後に大聖寺藩主となった三男利治の成長を祈願して、菅生石部神社に寄進されたことが、附指定された局筆文書であきらかである。
 梨地に蒔絵で菊桐紋を散らした豪華な造りで、我国の漆工芸の技術の高さを示すとともに、将軍息女の婚礼調度を知る上でも貴重な作品である。






陶製金剛童子立像(とうせいこんごうどうじりゅうぞう)   1点
所 在 地   山中温泉薬師町
所 有 者   医王寺
指定年月日  昭和25年8月29日

 明治33年(1900)に明治天皇が北陸巡幸の際、天覧に供され、明治天皇自ら金剛童子の名を付けたと伝えられている。
 寺伝では古九谷が成功したのを記念して、後藤才次郎と田村権左右衛門が
寄進したと伝えている。その真偽はともかく、天を衝く怒髪や鋭い眼差しなど、九谷焼独特の深い色合いの釉調とも相まって、造形的に優れた点が高く評価されている。





書 跡
正親町天皇宸翰御詠草(おおぎまちてんのうしんかんごえいそう)   1幅
所 有 者   菅生石部神社
管 理 者   石川県立美術館
指定年月日  昭和25年8月29日

 菅生石部神社に伝来した経緯は不明であるが、永禄41561)の歌合で「閑見月」の題で詠んだ和歌の草稿である。
 書体は後柏原院流の優雅でなめらか且端正な筆致で書かれている。時は戦国時代であり、皇室の財政は窮乏を極め、即位から3年以上たってからようやく即位の大礼を挙げることができたという。その後国内が安定し、王朝文化の復興にと伝統を守ることに努めた天皇といわれている。







国指定重要有形民俗文化財

白山麓(はくさんろく)山村生産用具(さんそんせいさんようぐ)及び民家(みんか)   2,638点と1棟
所 在 地   大聖寺敷地
所 有 者   加賀市
指定年月日  昭和52年6月14日   昭和55年4月24日追加

 分校町に居住していた伊藤常次郎氏が30年にわたって、ふるさとの小松市小原町を中心とした白山麓の村々で収集した民具と民家である。山師と焼畑・炭焼き関係の資料を中心としているが、白山麓の狩猟や漁猟・養蚕などの他、日々の生活に伴う資料など多岐にわたっている。
 民家は旧新丸村新保にあったもので、典型的な加賀型農家の間取りであるが、最大の特徴は、焼畑に伴う乾燥施設のアマボシダイを備えている点である。ともにかつての白山麓のくらしを知る上で、欠くことのできない貴重な資料である。







白山麓(はくさんろく)積雪期用具(せきせつきようぐ)   2,236点
所 在 地   大聖寺敷地
所 有 者   加賀市
指定年月日  昭和63年3月17日

 豪雪地帯として知られる白山麓で使用されていた積雪期の民具である。この資料も伊藤常次郎氏が収集したものであり、旧白峰村・尾口村・鳥越村などの特に雪深い地区で採集されたものである。多種多様の用具があり、豪雪地帯にたくましく生きた人々のくらしぶりと知恵を知ることのできる貴重なしりょうである。






国指定重要無形文化財

工芸技術
木工芸(もくこうげい)   1件
保 持 者   川北 良造(かわぎた りょうぞう)
指定年月日  平成6年6月27日

 ロクロ挽物で高い技術を誇り、全国漆器の9割以上の木胎を生産している山中木地挽物の中でも、最も高い芸術性と技術を備えた木工界の第一人者として知られる。
 父の川北浩一に技術を見習い、のちに木工指物師の重要無形文化財保持者氷見晃堂に師事して、さらに技術をたかめ、後進の指導にも尽力している。





国指定史跡名勝天然記念物

天然記念物
篠原(しのはら)金明竹(きんめいちく)
所 在 地   篠原町
管 理 者   加賀市
指定年月日  昭和2年4月8日

 明治9年(1876)マダケ林中から突然変異で発生したもので、金明竹の名称は明治11年(1900)、明治天皇が北陸巡幸した際天覧に供し、明治天皇自ら命名したと伝えられる。
 本来、全緑であるはずの茎第Ⅰ層が黄色となり、枝分かれした溝部にのみ緑色が残る。葉は白筋が入った斑入りとなっている。竹の生態を知る上でこうした自然発生地は貴重であり、国の天然記念物に指定されているのは全国で4か所しかない。





栢野の大スギ(かやの  おお    )
所 在 地   山中温泉栢野町
所 有 者   栢野菅原神社
指定年月日  昭和3年11月30日

 栢野菅原神社境内にある杉巨木群のうち最大の杉で、地上約5で二又に分かれている。胸高幹廻り9.6m、樹高約55mを測る巨木で本州では最大の杉である。昭和22年の昭和天皇北陸巡幸の際、天覧されたことから、天覧の大杉ともよばれている。推定樹齢は2300年とも700年ともいわれており、研究者によって大きな開きがあるが、我国を代表する巨木である。





鹿島の森(かしま もり)
所 在 地   塩屋町
管 理 者   加賀市
指定年月日  昭和13年8月8日

 福井県との県境に接した大聖寺川と北潟湖の間にある陸続きの島が鹿島である。標高約30m、外周約600mほどの岩盤でできた小島で、表層の土部分は比較的薄い。
 古くから信仰の場として保護されてきたため、タブやスダジイ・ヤブニッケイなどの常緑広葉樹が繁茂し、樹下にはカラタチバナやベニシダ・ムラサキシキブなどが自生している。こうした暖地性原生林は加賀では唯一残った貴重な自然環境である。






八幡神社(やはたじんじゃ)(おお)スギ
所 在 地   山中温泉菅谷町
所 有 者   菅谷八幡神社
指定年月日  昭和18年8月24日

 菅谷八幡神社境内にある大杉で、地上約3mで三又に分かれており、栢野の大スギが二又大杉と呼ばれるのに対して、こちらは三又大杉と呼ばれている。胸高幹廻り約7.6m、高さ約38.5mを測り、栢野の大スギについで大きな杉である。





ヒシクイ
所 在 地   地域を定めず指定
管 理 者   加賀市
指定年月日  昭和46年6月28日

 大型のガンの一種で、マガンより一回り大きい種である。ユーラシア大陸北部で繁殖し、10月上旬頃に日本へ飛来する渡鳥である。
 かつては日本全国に見られたが、環境の変化等で激減しており、片野鴨池は数少ない飛来地の一つである。湖沼や湿地に生息し、早朝に群れで周辺の水田に移動して、マコモやヒシの実を好んで採餌する。







マガン
所 在 地   地域を定めず指定
管 理 者   加賀市
指定年月日  昭和46年6月28日

 ガンカモ目・ガンカモ科の鳥類で、ヨーロッパやシベリア・アメリカ大陸北部で繁殖し、10月上旬頃日本に飛来する。ヒシクイと同様、湖沼や湿地に生息し、早朝に群れで周辺の水田に移動して採餌する。警戒心が強く、群れで行動する特徴がある。






特別天然記念物
オオサンショウウオ
所 在 地   地域を定めず指定
管 理 者   石川県
指定年月日  昭和27年3月29日

 両生類の中では世界最大といわれるオオサンショウウオであるが、通常は80㎝未満のものが多い。稀に1mを越す個体が確認され、これまで確認されているものでは岡山県で飼育されていた個体が、150.5㎝と最大であったが平成22年に死亡している。当市内に飼育されている2匹の個体のうち1匹は、昭和48年山中温泉鶴仙渓で捕獲されたものである。平成24年の測定で136㎝と確認され、現在生育している個体としては国内最大であることが解った。約3000年前から形が変わらず、生きた化石ともいわれており、我国の生物学上貴重な種といわれている。






カモシカ
所 在 地   地域を定めず指定
管 理 者   加賀市
指定年月日  昭和30年2月15日

 日本固有の動物で、ヤギに似た角を持ち、本州・四国・九州に分布している。通常群れをなさず単独で行動しているが、まれに夫婦2頭かメスと3歳までの幼獣という家族単位で生活する。
 石川県では白山山系の海抜500600mの山地に多く生息しているが、近年個体数の増加により平地でも出没が確認されるようになっている。





史 跡
法皇山横穴古墳群(ほうおうざんよこあなこふんぐん)   1箇所
所 在 地   勅使町
管 理 者   加賀市
指定年月日  昭和4年12月17日

 古墳時代後期に作られた横穴墓で、遺体を安置した玄室の天井には様々な形態がある。特に断面が家形をした玄室は死後の家という概念があったことを示すものとして注目される。
 現在80基の横穴が開口しているが、未調査も含めて全体では300基程度と推定され、日本海側では最大規模を誇る横穴群である。






狐山古墳(きつねやまこふん)   1箇所
所 在 地   二子塚町
管 理 者   加賀市
指定年月日  昭和7年4月19日

 二子塚町の水田中にある前方後円墳で、昭和7年土砂取りの最中に石棺があらわれ、調査の結果、5世紀後半に築かれた全長56mの古墳であることが判明した。副葬品には銅鏡・銀製帯金具・桂甲短甲・直刀・玉類など、畿内と結びつきの強い遺物が多量に出土している。こうした古墳の規模や副葬品の内容から、畿内勢力と結びつきの深いエヌマの首長の墳墓であると推定されている。






九谷磁器窯跡(くたにじきかまあと)   2箇所
所 在 地   山中温泉九谷町 山代温泉
管 理 者   加賀市
指定年月日  昭和54年10月23日   平成17年3月2日追加   平成18年7月28日追加

 我国の伝統工芸を代表する九谷焼発祥の地で、世界の名陶と讃えられる古九谷が作られたとされる窯跡及び工房跡である。
 山中温泉九谷町の窯跡は、江戸前期の登窯跡2基と、江戸後期の吉田屋窯跡1基と工房跡からなる。1号窯跡は全長36mの登窯で、2号窯跡は全長12mと縮小される。工房地区には現在確認されるものとしては世界最古の色絵窯跡がある。吉田屋窯跡は江戸後期に古九谷の再興を目指して造営された窯で、現代九谷焼源流の窯跡である。
 山代温泉の窯跡は吉田屋が開窯わずか1年強で移した窯で、以後この山代温泉の窯を中心として九谷焼は連綿と受け継がれ、明治以降旧加賀藩諸窯も九谷の名を使用するようになって現代におよんでいる。これらの窯跡及び工房等は、我国の工芸史上欠くことのできない貴重な遺跡である。







国選定重要伝統的建造物群保存地区

加賀橋立伝統的建造物群保存地区(かがはしたてでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく)
所 在 地   橋立町
選定年月日  平成17年12月27日

 加賀市北部の海岸線近くに位置する集落で、江戸後期から明治中期にかけて繁栄した、北前船の船主や船頭等が居住した集落である。近世末期から明治初期の地割を残し、豪壮な家屋や特色ある赤瓦屋根、笏谷石の石垣などに往時の繁栄を偲ばせており、伝統的建造物群を構成し、歴史的風致を今日に伝えている。





加賀東谷伝統的建造物群保存地区(かがひがしたにでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく)
所 在 地   荒谷町 今立町 大土町 杉水町
選定年月日  平成23年11月29日

 近世から昭和前期にかけて炭焼きを主産業とした山間部の4集落からなり、加賀地方の農家の特徴を発展させた近代以降の伝統的建造物群が、石積み、石造物、樹木、旧道、水路、河川等の工作物や自然物と一体となって独特な歴史的風致を形成しており、我が国にとって価値が高い。






国登録有形文化財

建造物
旧月田家住宅(きゅうつきだけじゅうたく)   1棟
所 在 地   大聖寺神明町
所 有 者   医療法人篤豊会
登録年月日  平成11年2月17日

 大聖寺藩の下級武家屋敷。江戸末期に建てられたもので、数少ない貴重な建物である。






北前船主屋敷蔵六園(きたまえせんしゅやしきぞうろくえん) 旧酒谷長一郎家住宅(きゅうさかやちょういちろうけじゅうたく)   11棟
所 在 地   橋立町
所 有 者   個人
登録年月日  平成11年2月17日

 明治9年に建てられた北前船主の住宅で、屋敷全体の残りもよい。






白銀屋旅館(しろがねやりょかん)   3棟
所 在 地   山代温泉
所 有 者   嵐山温泉嵐狭館
登録年月日  平成11年2月17日

 数少ない江戸後期の温泉旅館建築。近年客間部分が除却された。






山岡商山堂(山岡ビル)(やまおかしょうざんどう やまおか      )   1棟
所 在 地   山中温泉湯の出町
所 有 者   個人
登録年月日  平成11年2月17日

 山中漆器商の店舗として昭和7年建設の近代鉄筋コンクリート造。





時習庵(じしゅうあん)   2棟
所 在 地   大聖寺神明町
所 有 者   個人
登録年月日  平成11年10月14日

 近代武家屋敷風住宅と大聖寺藩主菩提寺実性院より移築した土蔵。





北大路魯山人寓居(きたおおじろさんじんぐうきょ)   2棟
所 在 地   山代温泉
所 有 者   加賀市
登録年月日  平成13年4月24日

 明治初期に建てられ、大正4年の北大路魯山人が滞在した建物。





旧中木家住宅(きゅうなかきけじゅうたく)   3棟
所 在 地   大聖寺魚町
所 有 者   加賀市
登録年月日  平成15年3月18日

 大正2年に建てられた母屋・土蔵・石蔵からなる大聖寺の典型的町屋。





旧山長織物会社(きゅうやまちょうおりものがいしゃ)   3棟
所 在 地   大聖寺番場町
所 有 者   加賀市
登録年月日  平成15年3月18日

 明治43年建設の近代疑洋風建築の事務所棟と、門・土蔵の3棟。





五徳庵(ごとくあん)   4棟
所 在 地   大聖寺錦町
所 有 者   NPO法人歴町センター大聖寺
登録年月日  平成17年2月9日

 中級武家屋敷に建つ近代武家風住宅と物置。門は江戸時代の武家門。





橋本酒造(はしもとしゅぞう)   12棟
所 在 地   動橋町
所 有 者   個人
登録年月日  平成17年12月26日

 江戸後期建造の母屋と酒蔵。江戸時代の大型町屋の典型。





江沼神社竹涇館・梅花庵(えぬまじんじゃちくけいかん ばいかあん)   2棟
所 在 地   大聖寺八間道
所 有 者   江沼神社
登録年月日  平成20年5月7日

 竹涇館は県内唯一の近代華族家別邸。梅花庵は江戸末期の北前船主邸座敷。






県指定有形文化財

建造物
無限庵御殿(むげんあんごてん)   1棟
所 在 地   山中温泉下谷町
所 有 者   財団法人 無限庵
指定年月日  平成12年8月29日

 尾小屋銅山の経営で隆盛を誇った旧金沢藩家老横山家十三代隆平が、子息の婚礼のために金沢市内の本宅に、大正元年(1912)に建てた接客用建物を、大正10年(1922)に移築したものである。三十六畳の書院座敷と二十畳の次の間からなり、近代建築でありながら伝統的な御殿建築として建てられている。琵琶床には漆器蒔絵が施された豪華な蹴込がはめられ、加賀に醸成された建築・工芸技術の粋を集めて作られた希少な建物である。






絵 画
絹本著色親鸞聖人絵伝 附宝徳元年裏書(けんほんちゃくしょくしんらんしょうにんえでん  つけたりほうとくがんねんうらがき)   4幅と4紙
所 有 者   
管 理 者   石川県立美術館
指定年月日  平成11年11月26日

 浄土真宗の開祖である親鸞聖人の生涯を描いた絵伝で、本願寺三代覚如が描かせた康永本系統の絵巻をもとに、詞書を分けて絵を軸装したものである。
 こうした四幅本絵伝は八代蓮如以後数多く制作されたが、本例はそれ以前
の七代存如から宝徳元年(1449)に下付されたことが裏書によって判明する。
 当地方における蓮如以前の真宗教団の活動を知る上で貴重な資料であるとと
もに、箱書から筆者が土佐光信とされており、美術的にも高く評価されている。





彫 刻
木造十一面観音立像(もくぞうじゅういちめんかんのんりゅうぞう)   1躯
所 在 地   山代温泉
所 有 者   薬王院温泉寺
指定年月日  平成3年4月11日

 もと白山五院大聖寺慈光院の本尊であったが、明治初期の廃仏毀釈の際、薬王院に移されたものである。
 材一木造り等身大の堂々とした仏像で、像全体の重厚な作風や面相、裳の衣文などの様式から平安期の作と考えられる仏教彫刻の優作で、白山の本地仏であり、南加賀の白山五院関係の希少な遺品としても歴史的意義が極めて高く、当地方の文化史上貴重な文化財である。





工芸品
古九谷泊舟図大鉢(こくたにとまりふねずおおはち)   1点
所 在 地   山代温泉
所 有 者   個人
指定年月日  昭和35年5月27日

 甲形の大平鉢で、見込みに大きく一艘の舟を描き、網と艪を干した情景を描いている。口径47.8㎝を測り、現在確認されている古九谷の中でも最大の作品である。
 民画調の極めて抽象的な作品であり、全体に余白を活かした色絵古九谷に典型的な表現技法で描かれ、芸術性の高い作品となっている。





鉄打出狛犬大置物(てつうちだしこまいぬおおおきもの)   1対
所 有 者   個人
管 理 者   石川県立美術館
指定年月日  昭和57年7月12日

 作者の山田宗美は、明治4年(1871)大聖寺鍛冶町の武具鍛冶師の家に生まれ、父宗光から象嵌や打出しの技術を学んでいる。鉄打出しは溶接せず、すべてを一枚の鉄板から造形を作り出す技法で、金属の中でも伸びにくい鉄をあえて使い、細かな表現まで作り出すきわめて難しい技術で、「宗美の先に宗美なく、宗美のあとに宗美なし」といわれるほど高度な技法であった。
 この作品は明治42年(1909)の日英博覧会に出品され、名誉大賞を受賞したもので、宗美作品の中でも最大のものである。







県指定有形民俗文化財

坂網猟法(さかあみりょうほう)とその用具(ようぐ)   1組
所 在 地   片野町
保持団体    大聖寺捕鴨猟区協同組合
指定年月日  昭和44年3月19日

 江戸時代に大聖寺藩士村田源右衛門が魚取の帰りに、片野大池近くに飛来してきた鴨を、持ち合わせたタモ網を投げあげて捕えることができたことから、以後藩士の鍛錬として奨励されたと伝えられる。
 猟には坂網といわれるY字形をした網を用いる独特の技法で行われている。







県指定無形文化財

工芸技術
山中木地挽物(やまなかきぢひきもの)
所 在 地   山中温泉塚谷町
保持団体    山中木地挽物技術保存会
指定年月日  平成22年4月2日

 天正年間(15731592)に越前から移ってきた木地師集団が、良材を求めて山中温泉真砂町に移住したのが始まりと伝えている。その後、山中温泉地区に技術が伝わり、江戸後期には加飾挽きの技術が開発され、挽物技術が大きく発展した。加飾挽きには千筋や糸目筋など19種類があり、これらを削る鉋もすべて挽物職人が制作するのが山中木地挽物の特徴である
 職人の規模・質及び生産量において、全国の挽物産地の中でも群を抜いており、工芸史上重要な地位を占め、かつ地方的特色が顕著な木工芸の技術であるなど、芸術上価値が高い。







県指定無形民俗文化財

御願神事(ごんがんしんじ)
所 在 地   大聖寺敷地
保持団体    御願神事保存会
指定年月日  昭和62年3月23日

 南加賀に春の訪れを告げる御願神事は、菅生石部神社の例祭で、毎年210日に行われている。祭に使用される青竹の採集や、大蛇に見立てられる大縄作りなど、一連の流れ全体が神事として進められる。
 悪疫退散・大蛇退治に由来する神事といわれているが、元来は年頭の年占行事であったらしい。御願という名称についても、正月の願初めをしたところから付いたと伝えられる。特殊神事に乏しい加賀地区において、民俗学的に貴重な神事である。







県指定史跡名勝天然記念物

天然記念物
片野鴨池(かたのかもいけ)
所 在 地   片野町
管 理 者   加賀市
指定年月日  昭和44年3月19日

 片野海岸近くの丘陵に囲まれた片野大池は、全国有数の鴨類飛来地として知られている。通常の池は約1.5haであるが、稲刈り後に水門を嵩上げして水田部分にも水張りし、約5倍の8.5haにも及ぶ鴨池となる。これは同じく県指定民俗文化財となっている坂網猟を行うために、鴨類の飛来しやすい環境をとするためにおこなっているものである。こうした人と自然との共生が高く評価され、平成5年には世界的にも貴重な湿地として、ラムサール条約登録湿地となっている。






菅原神社(すがわらじんじゃ)(おお)スギ
所 在 地   山中温泉栢野町
所 有 者   栢野菅原神社
指定年月日  平成17年8月16日

 国指定天然記念物栢野の大スギと同じく、栢野菅原神社境内にある杉の巨木群である。いずれも樹高35m以上の巨木で、これほどの杉の巨木が近接して林立する景観は他に例をみない。神域として大切に保護されてきた結果であり、荘厳な雰囲気は人を圧倒する。
 いずれも当地域の原生植生を知る上で貴重な自然遺産である。


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